びびびときた

acteurを頭からがしがし貪り読んでいたらある文章でふと感じた。書き手の意識が見えた気がした。ある役者の行動をただ書いてるその向こう側にたぶんこの人はこれを痛快に感じてるんだろうなというのが。そしてそんなふうに思うであろう人を知ってる。書き手の名を見たらやっぱりそうだった。文章の向こう側に自分が透けるのはいいことなんだろうか。それがオリジナリティなんだろうか。何を演じても自分色がある役者もいてそれが一概に悪いとも思えないからやっぱりこれは個性の一種なんだろうな。それが自分にしか出来ない仕事というものなのかもしれないな。でもやっぱり自分を消せる役者が好きな私にとっては文章も同じことだけど。まあ目的によるのかもしれない。